木藤亮太の月イチコラム「那珂川のミカタ」
みなさんはじめまして!本通信にて今月より連載コラムを担当させていただく、木藤亮太(きとうりょうた)と申します。
「那珂川のミカタ」と題して、那珂川の課題や魅力をどうやって捉えるか「那珂川の見方」をみなさんと考える機会にしたい!
もちろん私は那珂川の未来を真剣に前向きに考える「那珂川の味方」です!みなさんととも色んな考え方を交換していきたいと思います。
「那珂川のミカタ」をどうぞよろしくお願いいたします。
自己紹介を少し。那珂川出身・・というと若干ウソになりまして(笑)母が那珂川市安徳の出身。
子どもの頃は盆と正月に帰省する場所として、20代より那珂川町の住民となり、結果44年の半分以上をこのまちで暮らしている、という人間です。
現在、いろんな立場で那珂川市の”まちづくり”に関わらせていただいていますが、私の活動の基礎となっているのが2013年より約4年関わらせていただいた「宮崎県日南市油津商店街の再生事業」です。
事業については、詳細は次のリンクなどをご覧ください。
↑「危機感」と「応援」がシャッター商店街を変えた。宮崎県日南市 油津商店街の再生物語(LIFESTYLE INNOVATION/ELECOM)
#001:那珂川の風景が変わっていた!?
上記の商店街事業を行っていた約4年間(2013〜2017年)は、那珂川を離れ、宮崎県に家族と一緒に移り住んでいました。
任期を終え那珂川に戻たっとき、感じたのは、4年前に住んでいた頃と「まちの風景が変わっていたこと」でした。
4年でまちのどこが変わったか、実はほとんど変わっていません。マンションが若干増えたか、お店の並びがちょっと変わった程度でしょうか。
では「まちの風景が変わっていた」とはなんなのか?
実はみやざきに移り住む前の生活は、朝早く家を出て、夜中まで仕事をして、また翌朝出ていく、そして週末は市街の大型SCへ・・という、いわゆるベッドタウンから通勤するサラリーマンとして、毎日を過ごしていました。自分にとっては「寝るだけ」のベッドタウン那珂川の姿しか目に写っていませんでした。正直「面白いまちだ」なんて全く思ってなく、面白くなる可能性すら感じていませんでした。
一方、宮崎県日南市は激しい人口減ながら、その土地で生まれ育った人の割合が高いという、那珂川とは真逆の特徴(那珂川は人口が増え、よそで働く人の割合が高い)があります。そんな日南市に約4年間住む中で、わが町のために一生懸命商売する人たち、わが町を元気にしようとチャレンジする人たちと多く出会い、「わが町への愛」をもった市民の熱い想いをたくさん受け取ることができました。
そんな約4年間の経験をして、後に那珂川に帰ると・・今まで見えてなかったような「那珂川への愛」を持った市民がたくさんいることに気づかされました。
実は4年前もいたんです、そういう人々は。しかし見えてなかった、それまでは。自宅と会社を往復するだけのベッドタウン生活では、見つけ出すことができなかった。
「わが町への思いのある市民も多くいるんだな、捨てたもんじゃないな。」そう、「まちの見方」が変わったのです。これまでに見えていなかった「那珂川への愛」があふれる魅力的な那珂川市が見えました。
一方で人口が増え一見豊かに見えるわが町那珂川にもまだまだたくさんの課題があることを改めて認識しました。
その課題が何なのか?については次号でお話しすることにします。
今日お伝えしたかったのは、「まちの姿は変わらずとも、目を養い、見方を変えれば、見えてなかった魅力や課題がたくさん見つかる」ということ。
那珂川市は人口が増加する利便性の高いベッドタウンで、やもすれば課題など探す必要のないまちなのかもしれない。でも、視点を少し変えいつもと違った角度から見るだけで、まちの色んなものが分かること。
木藤亮太
株式会社油津応援団専務取締役、株式会社ホーホゥ代表取締役。
宮崎県日南市が実施した全国公募により、2013年7月よりテナントミックスサポートマネージャーとして、“猫さえ歩かない”と言われた油津商店街の再生事業に取組み、約4年で25を超える新規出店、企業誘致等を実現。その後は自らが育った福岡県那珂川市に拠点を移し「事業間連携専門官」に着任(2017年4月より)、株式会社ホーホゥを設立(2018年1月より)。その他、各地のまちづくりPJのアドバイザーを兼任するなど活動の幅を広げている。